美術解剖学 ゲスト:池上高志 2004年

2004年10月28日 | クオリア日記の該当記事 | このファイルに関連するクオリア日記の記事

東京芸術大学『美術解剖学』講義 
後期第3回
2004-10-28
特別講義 
ゲスト 池上高志(東京大学、複雑系、認知科学)
Subtleness, Dynamics, Precision

15:35 〜 17:00

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東京芸術大学 美術学部 中央棟 第3講義室
Download MP3, 22.6MB, 99分

Lecture Notice

クオリア日記より抜粋

自己というインフラ

芸大に週一回授業に来ることがなかったら、
上野近辺に来ることはもっと少なかったろう。

 芸大の授業があるのは実質的には半年
だけど、
 その間、自分の青春が埋まっているエリアに
定期的に来れるのはうれしい。
 なにしろ、学部4年(理学部2年、法学部2年)、
大学院5年、計9年間本郷にいたから、
 鬱屈をかかえて歩き回っていた不忍池
から広小路にかけてのエリアには、いろいろな
思い出が詰まっている。
 まさに空間は記憶を収納するメタファーに
なっている。

 あの頃、芸大のキャンパスの前は何度も
通ったけれど、不思議に中に入ろうとは思わなかった。
 自分の人生とはクロスしないと思って
いたのだろう。
 布施英利さんのお誘いがなかったら、
まだクロスしていなかったかもしれない。
 
 池上高志の授業の詳細はmp3で聞いていただく
こととして、
 私には、ownershipとagencyの揺らぎが
知覚に本質的な問題であるという池上の
問題提起がとても面白かった。

 免疫系とのメタファーもとても良くわかる。
 システムがあるからこそ発生するprecision。
 池上の言うprecisionの問題は、まさに
私にとってのクオリアの問題につながっている。

 つまりは、順序づけも位相も明示的には導入
できないのに、あきらかに「これ」と指し示しが
できるような構造が、intentionalityとして普遍的
に立ち上がる何らかのシステムが、私たち
というもので、
 その境界が揺らぐということが本質的である
というのもまた事実である。

 visual awarenessを典型的な領域とする
クオリアの生成問題においては、しかし、
池上の言うownershipやagencyの揺らぎと
して明示的にとらえられるsetはむしろ一部分
である。
 クオリアは、いわば池上の言う揺らぎとは
一見無関係に見えるような安定領域こそを
本領とするのであって、
 そのことを私は考えざるを得ない。

 池上の授業が始まる前に、伊東乾さんと
2時間ほど喋る。
 初対面だけど、なんとなく共感できる部分が
多かった。
 特にリベラルなヒューマニズムを背景した
創造性への決意の部分において。

 授業終了後の上野公園の飲み会は、油絵のP植田が
事前に買い出しをしてくれていて、
 スムーズに始まる。
 布施さんも登場。
 なんだか20人以上にふくれあがったんじゃないか。

 本当に楽しい時間であるが、授業は年内だから、
休講しなくてはならない日をのぞくと、あと
何回か。

 皆は、あのあと、根津の車屋に流れたらしい。
 私は金曜までの仕事がいろいろあって、
早帰りして、こうして朝早くから職人に
なっている。

 上野公園でみんなで飲む時に見上げる月も
好きだが、
 職人モードで内にこもる感覚も好きだ。

 今日は夕方九州へ。

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