美術解剖学 松井茂
「方法詩における唯一と一般 ── ExFormationの詩学」
(2006年度 美術解剖学 Lecture 7)

東京芸術大学 美術中央棟 第三講義室
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[クオリア日記より抜粋]

それが絵であれ、音楽でも
小説だとしても、
 ある作品に向き合って何かを感じる
ということは
 自分を「楽器」として鳴らす
ことだと思う。

 うまく鳴らしたり、大きな音を立てたり、
妙なるメロディーが流れるためには、
それなりの習練がいるし、
 経験もいるし、才能も必要と
される。
 
 小林秀雄は大変すぐれた楽器だったのだと
思う。
 他の人が鳴らない形で鳴らすことが
できた。

 小林秀雄を目の敵にしたり、
「美」という概念を嫌悪する人たちは
自分がどのような楽器だと思っているの
だろう。

 そもそも、美を目の敵にする
のならば芸術などやらなきゃよいし、
 そもそも目の敵にするところが
あやしい。

 何かやましいことがあるから、
感情的な反応を示しているのではないか、
そのようにさえ勘ぐる。

 方法を追求する一方で、
モーツァルトは「ああ、いいですね」
と放っておけばよかろう。

 何よりも問題なのは、
方法が全面に出る人たちの語る言葉が、
通常の意味での芸術表現の現場で起こっている
ことに比べれば、単純過ぎるということだ。
 
 一般人が素朴に好み、感銘を受ける
たとえばゴッホや写楽の絵の中に
あるものと、
 カオスだとか、非線形だとか、アルゴリズム
といった方法で示されているものを
比べれば、
 どっちが複雑かということは
言うまでもない。

 現在の人間の知性ではとてもとらえきれない
ほど複雑な豊饒に、私たちはとりあえず
「美」という名前を付けているだけの
ことであり、
 涙を流すことはそれほどお気楽な
ことではなく、
 ただ現時点では方法に分解できない
というだけのことだ。

 ミニマリズムや実験なにがしが
廃れてしまうのは、
 畢竟、それがあまりにも単純すぎる
からではないか。

 素朴過ぎる、とバカにされる
作品の方がよほど複雑なのである。
 アトラクターとかカオスとか
いうbuzz wordに居付いて、
 中心を外してしまってはいけない。

 中心を外してしまっては、楽器が
うまく鳴らない。

 松井茂さんのやられていることは
ミニマリズムに近いが、
 松井さん自身から受ける印象は
美や自分の楽器性を切り捨てる人
というものとは違う。

 何やら、粘菌とか、菌糸体とか、
そのようなものに近い生命作用が
発酵を続けているように感じる。

 だからこそ、ぼくは松井さんという人に
とても興味を抱いたし、
 芸大の学生たちとの対話は意義
あるものになったと思った!

 とにかくここはとても難しい
ところであり、
 松井さんの授業から受けた
インスピレーションをもとに、
私も引き続き考えたいし、
 みんなにも取り組んで欲しいなあと思うのです。

 授業後、学生も言っていたが、
松井さんには、今までのミニマリズムの
隘路を突破する何かが期待できるような
気がする!

 松井茂さん、お忙しい中
いらしていただき、
ありがとうございました!

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