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[クオリア日記より抜粋]
自己批評性のない創造者は結局は
大したものになれない。そのことは
確信していいんじゃないかと思う。
そんなことを考えながら、
東京芸大へ。
重松清さんとの対論。
重松さんはいつものように
「原稿書き用ハイヤー」で現れた。
大浦食堂横で談笑した後、
対論開始。
『涙の理由』というタイトルだったが、
途中で会場の学生たちとも
対話が始まり、
問題はそもそも芸術とは何か、文学との
関係は何かという本質論につながっていった。
そもそも、芸術の一部分として文学は
含まれているはずだが、
なぜ芸大は言語表現をカバーしていないのか?
植田工が、
初代油絵科の教授の
黒田清輝が、読み書きそろばん
ができないというくらいで、絵を描いては
いけないというのか! と言いましたからね。
今でも、お前ら、いくら勉強は関係ないと
いって、共通一次で40点しかとらないで
芸大に入ってくるとは何事か! という
言葉が飛び交いますからね!
と現代につながる芸大の「伝統」を解説する。
自己批評能力は
言語表現によって豊かなものになるはずだ。
布施英利さんの存在は大きい!
対論が終了し、上野公園に向かって
歩いている時、
重松さんは「そうか、芸大って、
日本に残った最後の「明治」かもしれないね」
と言われた。