美術解剖学 ゲスト:大竹伸朗

2006年11月06日 | クオリア日記の該当記事 | このファイルに関連するクオリア日記の記事

東京芸術大学 美術解剖学 講義
大竹伸朗

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東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟 第3講義室
Download MP3, 90.5MB, 98分

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急告!

大竹伸朗さんが、2006年11月6日(月)
15:35〜17:00
の東京芸術大学美術解剖学授業に
いらしてくださることになりました。

詳細は追って掲示いたします。

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東京芸術大学 美術解剖学 
大竹伸朗

 東京都現代美術館で「全景展」を
開催中の
 大竹伸朗さんをお招きしました。
 聴講歓迎!
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[クオリア日記より抜粋]

コップは放物線を描いて飛んだ

ある時から、クリエーターというものは
言い訳をしないものだと悟った。

 創造という文脈は、人生のあらゆる
場面で現れるから、生きるということは
言い訳をしないこと、だと言い換えても良い。

 芸大の授業の後、大竹伸朗さんを囲んで
上野公園で飲んだ。
 なぜこのようなことをやっているのか。
 一年目、狭い8番教室で
やっていた時に、
 帰りに自然発生的に
「ここで飲もう」と思ったのでは
なかったか。

 もう忘れてしまったが、
とにかく、教室の中では絶対に起こりえない
インタラクションが起こる。

 投入堂からの帰りの車で、
ふと見上げた夜空に、ああ満月か、
と思った。
 雨が降るのを心配していたくらいだから、
 上野公園に月はなかった。

 私は教室で大竹さんを紹介している
時から何だか声が変で、
 マイクなしに大声を出していたら、
すっかり声をつぶしてしまった。

 いろんなことを考える。

 資本の論理の前に、科学や芸術の
細かなニュアンスなど、ちょうど
衝突する小惑星にとっての地球上の
生きものたちのようなものだな。

 悪意とか善意とか、そういう問題では
ない。
 ダイナミクスを記述する
パラメータの存在平面が違うのだ。

 クリエーターとして成功するか
どうかで心を煩わせるのは
 若き野心の自然な作用だが、
 とにかく、生きるということが
それだけですごいんだから、本当は
 四の五の言うべきではない。

 言い訳しない、ということは、
たとえ自分が凡人で無事だけが取り柄の
人生を送ったとしても、
 それでいいと覚悟を決めることで、
 そうすれば人生の全ては
大したことじゃない。
 そうじゃないと、クリエーターとしても
本当は生きられないだろう。

 杉原信幸が大竹さんに食ってかかった。
 大竹さんが、杉原の持っていた
コップを見事に蹴って、
 コップは放物線を描いて飛んだ。

 授業で大竹さんが見せてくれた
「ドリャーおじさん」と
同族の、
 放物線を描いて飛んでいった。

 もっとも、ドリャーおじさんは
放物線の中でも限りなく直線落下に
近い線を描いて、
 東尋坊の海の中に落ちていくわけだけれども。

 とにかく、大竹さんは杉原の
コップを見事に蹴った。
 男、大竹伸朗ここにあり。
 
 植田工が杉原を上野駅の方に連れていって
そこで話し込んでいたらしい。
 「スギちゃん、あのなあ」
などと言っていたのだろう。

 帰ってくるんだったら、来いよ。
 大竹さんが暗闇の中でしゃがんで
凄む。
 それは一つの見事な型であって。

 芸大美術解剖学の授業の歴史に
また一つ伝説が付け加わった。

 それは、上野公園で飲み会を
しなければ、
 決して起きえない相互作用で、
 ぼくはどんな説明もしないけれども、
上野公園で飲み会をやっていて良かったと思った。

 果たして、
 ボクの喉は治るだろうか。

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