学士会夕食会

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学士会館
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学士会の夕食会で、團藤重光先生に
おめにかかった。

日本の刑法学における重鎮。
私も、法学部時代はその御著書で
勉強した。

学士会の理事長もされており、
講演前、
となりで食事をいただきながら
いろいろとお話をうかがった。

「あなたのやられている分野と
刑法学の境界領域は、アメリカで
随分やられているでしょう」

「はあ」

「やはり、主体性理論との関連に
おいてね。」

「はい、私たちも、agencyや、free will
の問題には関心を抱いています。」

「あなたの脳科学の先生は、どなたですか」

「伊藤正男先生です。」

「ああ、伊藤先生ね。伊藤先生の論文を引用
したことがありますよ。」

講演の時間となり、私は「知の総合性」
についてお話させていただいた。

昨年、京都大学で湯川秀樹、朝永振一郎
両博士の生誕100年の記念シンポジウムが
あったのを機に、
私は湯川博士の生涯をもう一度
振り返ってみました。
そして、博士が、理論物理学という
専門的領域で卓越した功績を上げた
のは、その総合的知性の充実ゆえんだと
確信いたしました。
小川家で、幼い頃から論語や史記などの
漢籍を素読した。
そのような総合的な知性がなければ、
中間子理論の発想にも至らない。
湯川博士は、ノーベル賞を受けられてから
知識人として啓蒙活動をされたと
思いがちですが、
実際には受賞前に優れた
一般書(『目に見えないもの』)を
出版されている。
知に、本来境界はありません。
知は青天井です。
ある分野で卓越した業績を残された方は、
必ず広い分野における素養がある。好奇心がある。
先ほど、團藤先生とお話して、
そのことを再び確信いたしました。

なぜ、日本は、バブル期に知の探求への
熱意を崩壊させてしまったのだろう。

ピア・プレッシャーには二種類ある。
一つは、「平均値に引きずり下ろそう」という
ベクトル。
「わかりやすさ」を追求する日本の
メディアの状況は、まさにそれだ。

もう一つは、どんどん尖る方向に
煽るようなピア・プレッシャー。
「お前、ドゥールーズ何冊読んだ?」
「三冊だよ。」
「そうか。まさか、日本語で読んでいるんじゃ
ないだろうな」
といった、鋭利さを加速させるような
圧力の作用。

日本はいつの間にか前者のピア・プレッシャーの
国になってしまった。
しかし、「わかりやすさ」を標榜して
幻の平均値を設定するのは一種の「談合」
である。

尖るというのは「偏差値」のような単一の
ものさしによるモノカルチャーではない。

みんなそれぞれ尖る方向は違う。
みんな違ってみんないい。
そのトンガリを、
談合でつぶすな。引きずり戻すな。

以上のようなことを申し上げた後、
「これからは、インテリの逆襲の時代ですよ」
と言ったら、会場から拍手が起きた。

講演中に拍手をもらったのは
はじめてである。

まぼろしの「普通」なんて知ったことか。
みんな、それぞれ信じる、愛する
方向にとんがろうぜ。

鈴鳴らしたらアルファー波が出て
頭が良くなるなんて、
たるいこと言ってるんじゃねえよ。

そんな甘ったるいことをうだうだしている
くらいだったら、本居宣長が
その仕事場で周囲に鈴を置いていたという
故事を知る方がよほど良い。

ぼくがワグナーのオペラを好きなのは、
出てくるのがみんな普通じゃない、
バランスを崩したトンがった人だからだ。

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