世田谷区下馬。
東京学芸大学附属高校の
校門の前に立ち、
正面玄関から入っていくと、
脳の中が温かくなって
さまざまな想念の泡が
浮かび上がってきた。
在校時、
校長室には一度も入った
ことはなかったのではないかと
思う。
吉野正巳校長、五十嵐一郎副校長、
それに中村和子先生と話しながら、
記憶の糸が次第にほぐれて
いった。
当時「ホワイトハウス」と呼ばれて
講堂。
中に入った瞬間、「ああ、そうだ、
まさにここで、私たちはウェーバーの
『魔弾の射手』を上演したのだ」
と思い出した。
あの頃の、濃密で色とりどりの
日々がよみがえってきて、
胸がいっぱいになった。
感謝こそが生きる糧に
なることがある。
母校の研究集会でお話させて
いただく。
それは不思議な体験だった。
何人かの在校生も「もぐりこんで」
いて、
変わらない制服に、昔の自分を
重ね合わせた。
室田敏夫先生と、一年ぶりに
お目にかかる。
「講演の中で、たくさん引き合いに出して
スミマセンでした。」
なつかしい道を通って、
東横線の学芸大学駅に歩く。