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脳科学と哲学の対話
第五回:<新しい学>へ向けての対話
ースピノザ、ヴィトゲンシュタインから
16時20分〜17時50分
クオリア日記より抜粋:
明治大学。合田正人さんとの対談の、第五回(最終回)。
合田さんにこの企画に誘っていただいたおかげで、人生の中に一つ「動き」をつくることができた。
合田先生、本当にありがとうございました。
合田さんと議論している時に、ああそうか、と気付いておかしくなった。ヴィトゲンシュタインの言うところの私的言語。本人だけにわかる。他の人にはわからぬ。そんな言語の「素材」自体は、誰にでもわかるような自然言語だということもあるのではないか。
個々の単語の意味はわかる。しかし、その配列がおかしい。話者本人にはわかっているが、全体として私的言語になっている。そんな可能性に思い至った。
例えば、18歳の時からの私の親友である塩谷賢。
一つひとつの単語は、確かに日本語なのに、全体として何を言っているのかわからぬ。「真性異言」とも言いたくなる。だからと言って、支離滅裂だというわけでもない。
聴いている人にはわからないのに、本人には、自分の言っていることの脈絡がついているとする。それこそがまさに「私的言語」ではなかろうか。
塩谷は、かくも長きの年月において、「私的言語」を話していたのである。