履修申請の書類を出すために、すずかけへ。
副指導教官の中村先生に書類にハンコを押してもらった。
「これからは博士課程だから、相当苦しむことになるよ」
と言われた。
申請した科目は「知能システム科学講究第五」という科目だけで、
あとは何も申請しなかった。
「知能システム科学講究第五」というのは茂木研でやっているゼミのこと。
昔の自分だったらなめるようにシラバスを見て、
面白そうな授業を探して、
それらの授業をなんとか時間割のなかに詰め込む「最適化」に
血道をあげたところだが、もうそんなことはしない。
この世界のどこかに面白いことが転がっているような気がしてしまっても、
実際はそんなことなくて、
面白いことは自分で生み出すしかない。
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すずかけを後にして神保町へ。
「みたて-かな」という展示を見に行く。
ひらがなのタイポグラフィによるアート。
それから見本市本店という紙のお店に立ち寄って、
神保町から淡路町まで歩いた。
連雀町の洋食屋「松栄亭」に入った。
ここに入るのはたぶん5年ぶりぐらい。
浪人生のころに、目をかけてもらっていた先生につれられて、
来たときのことを思い出した。
あれは夏の暑い盛りで、
昼間からビールをあおりつつ、
あつあつのメンチカツやらポークソテーやらにかぶりついた。
先生に「おい、あまり食い過ぎるなよ」と言われながら、
争奪戦のように平らげたのを思い出す。
このお店には「洋風かきあげ」というオリジナル料理がある。
この料理は、夏目漱石が外国からのお客を連れてきて、
「何か面白いものを拵えてください」と言ったことからできた。
松栄亭の初代があり合わせの材料で作ったのだという。
今日はこの洋風かきあげとメンチカツ、それにハムサラダを注文した。
浪人生のころに食べたときはひたすらうまいと思った記憶があるが、
どんな味だったかということは忘れてしまっていた。
またこの味を味わえて満足した。
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松栄亭をあとにして駅まで歩く途中に、
繁盛しているたい焼き屋さんがあった。
ちょっと並んで買ってみた。
たい焼きはふつう、鯛の形をしているけど、
このたい焼きは四角い枠の中に鯛の形が浮いている。
食後の口直しにちょうどよかった。
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淡路町を後にして、御成門へ。
慈恵医大で研究会。
玉大の坂上先生と臨床心理士の森さんのトークを聞いた。
坂上先生は主にサルの電気生理の実験で、見事な研究だった。
坂上先生のページ
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/gakujutu/brain/sakagami/index.htm
やっている実験はすごく簡単に言うと複雑なsaccade task。
学習がモデルベースかモデルフリーかという議論をなさっていて、
まず行動レベルでみると、モデルフリーであると。
次に細胞活動のレベルでみると、
線条体のニューロンの活動はモデルフリーだが、
前頭葉のニューロンレベルで見るとモデルベースになっているというのが、
かなり鮮やかに示されていた。
森さんは臨床の方で、やはり臨床の方のお話というのは
とてはとてもリアリティーがあって、
文献などで読んでも伝わってこないニュアンスがわかって、
勉強になる。
前頭葉損傷の患者さんのanhedoniaとうつ病のひとのanhedoniaという
症状は言葉で書くとどちらも「anhedonia」という表現になってしまうが、
実際は全然ちがう状態なのだという。
前頭葉損傷の患者さんの場合は、
目に異常なほど力がなくボーッとした状態であるのに対し、
うつ病の場合は精神的な緊張は保った状態であるということらし。
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すずかけの階段を登りながら、
日差しの強さが春というよりは初夏を思わせるそれで、
長い連休が来て、梅雨が来て、夏が来て、台風が来て、
秋が来てまた寒くなる、ということが24倍速でよぎった。
「刹那に生きる」というのは、
自暴自棄にその場限りの判断に身を任せる、
という意味でとられることもあるけれど、
本当はすべての一瞬を大切に生きる、ということだと知っている。
8年前のあの夏の日に、
松栄亭でメンチカツをはふはふいいながら食べた、
あの一瞬は、もう絶対に来なくて、
そしてそれは今この瞬間にも言える。
この瞬間のアウラは二度と再現されない。
相変わらず月日が矢のように過ぎてゆく。
論文がちっともすすまないっつーのに。